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zoom RSS ジェンダーという概念

<<   作成日時 : 2006/04/14 19:20   >>

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このところ「ジェンダーフリー」について
四の五のいうのがシリーズ化しているような感じです。
今回も、前回に引き続きジェンダーフリーを巡る
偏見や誤解を正す、という主旨の記事です。

ジェンダーフリーに批判的な意見を述べる人たちのなかにも
ジェンダーフリー推進論者に負けず劣らず
不見識な人や偏見に凝り固まった人がいる。

例えばこんなことを言う人もいました。

「ジェンダーやジェンダーフリーは危険だから
この言葉を使うことそのものを禁止すべきだ」


「ジェンダーフリー」はともかくも
「ジェンダー」まで敵視されたのでは
真面目に研究してきた人たちは浮かばれません。

そもそもジェンダーという概念装置を悪用して、
広告屋まがいの詐欺用語・キャッチコピーとして利用した勢力のほうに
非があるのであって
「ジェンダー」そのものは
むしろ被害者みたいなものです。

「ジェンダー」と聞けば即「ジェンダーフリー」を連想して毛嫌いする、
というのは言わばジェンダーフリー勢力の
思うツボに嵌っている。
なぜならそもそもジェンダーフリー勢力にとって
「ジェンダー」という概念そのものが
目障りな攻撃対象だったのですから。

そのようなことも知るために
そもそもどういう経緯でジェンダーフリーなどという
流行が生じてきたのか、
ということを、私の知る範囲で
解説してみたいと思うのです。

「ジェンダー」という語の起源に関して、
どうもデマがまことしやかに語られているように思います。

「Genderという語はもともと文法上の性を表す語だ」
という辞書的起源論から始まって、
バーバラ・ヒューストンというアメリカの教育学者が言い始めた
Gender Freeが語源でそれを輸入した
というような話まで飛び交っています。

バーバラ・ヒューストンなる学者が
ジェンダーについて言及したとされる論文は
調べてみれば1994年に書かれたものだそうです。
日本の運動家が
ほとんど知られていないこんなマイナーな人物の論文をもとに言い出した、
というようなことになっていたりするのです。

そんなわけはありません。
私も知りません、こんな人。

「ジェンダー」という語のもとは、
社会学者イヴァン・イリイチが提示した
学術的な概念装置です。

私にとってもジェンダーという語は
そもそも「ジェンダーフリー」ではなく
「バナキュラーなジェンダー」のジェンダーでした。
ジェンダーにフリーという語をくっつけてあるだけで
胡散臭いと感じましたね。

私が初めてイリイチ
「バナキュラーなジェンダー」に触れたのは
1983年に発行された新評論の「プラグを抜くシリーズ」です。

『経済セックスとジェンダー 』「シリーズ・プラグを抜く 1 」
(山本 哲士編 1983年2月新評論 )

1987〜1989年あたりに読んだ。

発行されたのは1983年ですよ、1983年。
バーバラ・ヒューストンなる人物が論文を書いたのが1994年ですから
それより11年も前に
すでにこの国の研究者の間では
「ジェンダー」という概念は広く知られていたのです。

ジェンダーフリーを擁護するサイトの筆者が生まれたのが1981年ですから
彼(彼女?)が二歳のときですね。
そのころにすでに「ジェンダー」はこの国の研究者の間で
普通に使われていた語なのです。

ジェンダー論は当時学術界の一種の流行になっていて、
幅広い分野で広く注目を浴びていた。
当然イヴァン・イリイチ自身の著作も多数翻訳出版されています。

『シャドウ・ワ−ク 生活のあり方を問う』イヴァン・イリイチ
 (玉野井芳郎・栗原彬訳 1982年9月 岩波現代選書)
『ジェンダ− 女と男の世界』イヴァン・イリイチ
 (玉野井芳郎訳 1984年10月 岩波現代選書)


イリイチの論述のなかで、
私はむしろ「シャドーワーク」のほうに魅力を感じたので、
しばしば自分の文書にも使っていたほどです。
「ジェンダー」に関しては、翻訳が下手なのか
いまいちはっきりとは理解できませんでしたが、
私は、ジェンダーフリー運動とは全く逆のことを言っている
と理解していました。

「現代社会の病理の多くは、
本源的な社会性差(バナキュラーなジェンダー)が
破壊されたことから生じてきている」


というもので、

「性差をなくそうとすることにもむろん問題がある」

という見解だったはずです。
これは相当程度私の考えと相当一致するものでした。
だからイリイチのジェンダー概念をもとにしている私が
ジェンダーフリー勢力に批判的なのも
言わば自然なことなのです。

そのような私やイリイチのような学者が
ジェンダーという語を用いただけで即
「ジェンダーフリーだ、けしからんやつだ」
と言われてしまうのは困りますねえ。
甚だ迷惑な話というほかはない。

そもそも日本のジェンダーフリー推進論者のような人たちにとって
イリイチは論敵なのですからね。
ジェンダーという語を禁句にするなら
ジェンダーフリー運動の間違いそのものを批判できなくなる。

「ジェンダー」とは社会的・文化的性差という意味であって
そのようなものが生じてくるには
当然のことながら生物学的性差が前提になっています。
生物学的性差とジェンダーは有機的に連動しているもので
切り離すことができないものです。

例えば同性愛者たちが
「ジェンダー・アイデンティティ」などと表現する場合のジェンダーは
「個人が持つ性的自意識」という意味にすぎず、
「肉体上の性」と「自我の思い込みによる性」とを
区別するためだけに使う語としての意味しかありません。
それを広告のキャッチコピー的センスでインテリ風に聞こえるように
ジェンダーと称しているだけであって、
もともとの学術上のジェンダー論やジェンダー概念とは
そうした時点で意味が全く異なっているのです。

ジェンダーフリーが英語にないから
ジェンダーバイアスフリーにしよう
などと語の置換えをしたところで、
ジェンダーそのものの意味が違うのだから
ほとんど無意味でしょう。

ジェンダーフリー思想が使う「ジェンダー」は
イリイチに端を発する学術的研究を「つまみ食い」して
得手勝手に曲解して利用しようとした社会勢力が
メディアを利用して流布したものです。

そうとは知らず、
週刊誌やミニコミ誌などで運動家たちが垂れたジェンダー論を読み
メディア的文化人たちが「新しい!」と感動したりして
政治運動用のイデオロギーに孫引き援用した。
その結果生まれてきたものが「ジェンダーフリー」なる
日本でしか通じない妙ちくりんな語なわけです。

ジェンダーフリーのジェンダーは、
学術論を正確に理解することのできない
同性愛者の人権擁護運動にかかわるような思考能力の劣った人たちが
つまみ食いして捏造したもが語源であって
学術的な論拠を持たない。

同性愛者擁護趣味は、
サブカルチャーが作り出したファッションであって
学術的論拠が希薄なのは、むしろ当たり前ですから、
そこから語をひっぱってきて作った「ジェンダーフリー」にも
確乎たる論拠を見つけることができない。

端的に言えば、
「セックスとジェンダーは全く無関係で、
ジェンダーは人工的に作られて押し付けられたものだ」
と考えている人の用語は、
マスメディアに頻繁に顔をだして刷り込みをしようとする学者や評論家
同性愛人権擁護運動家たちが使ったジェンダーを元にしていて
大元のジェンダー論を知らない人たちだと理解して
まず間違いないと思います。

このようなメディア的刷り込みやファッションをもとに
政治や政策を行うことほど
危うく無責任なことはないと思いますね。

(渡野川)

・ ジェンダーフリーをめぐる誤解と偏見
・ 成田ED
・ ジェンダーフリーの嘘
・ 
性教育という名の洗脳

経済セックスとジェンダー (シリーズ・プラグを抜く 1)

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コメント(28件)

内 容 ニックネーム/日時
事実の指摘だけ。「ジェンダー」の語源がバーバラ・ヒューストンであると主張する人は世界中探してもどこにもいません。一部の論者によってヒューストンが語源であるとされるのは「ジェンダーフリー」の方ですよ(それも間違いですが)。「ジェンダー」はヒューストンやイリイチよりもずっと古くから広範に使われていますから、イリイチが大元であるという主張はヒューストンが大元であるという主張と五十歩百歩です。ま、ジェンダーフリー推進派があんまりジェンダー論を知らないというのはその通りなんですが、あなたを含めジェンダーフリー批判派のジェンダー論理解はそれに輪をかけて乏しいように思うのです。
macska
2006/04/29 13:55
macskaさんこんにちは。
私にはあなたのような2ちゃんねるレベルの方と低俗な議論をするつもりはさらさらありません。
巷でバーバラ・ヒューストンなる人物が使った「ジェンダフリー」が語の起源だとする主張は実際にされています。ネット上でも探せばみつかります。
Genderという英語の語彙は古くからあることぐらいは誰でも知っていることです。余所の国が日常に使う語彙としてGenderの話など私は書いておりません。「この国でジェンダーという語が使われるようになった経緯」について書いています。
日本の「ジェンダーフリー」のジェンダーは英語の一般的な意味とは違う意味を持つ「概念」です。
概念として使用されるようになったのは20年ほど前からであって、イリイチの論文がもとです。
国会でそのような答弁をした学者さんも実際にいます。フェミニズムやジェンダーフリー派もこれへの批判としてジェンダーを使用しはじめました。
渡野川@管理人
2006/04/29 19:40
この国でジェンダーが研究者に用いられる語になったのはそんなに昔ではありません。
きっかけはイリイチのジェンダー論です。私は間違ったことは書いておりません。
日本語、ちゃんと理解できてますか?
あなたの日本語理解力の乏しさのほうがジェンダーフリー運動より輪をかけて問題が大きいと思います。
渡野川@管理人
2006/04/29 19:40
2ちゃんねるレベルの「枝葉末節に難癖をつけて批判する」コメント投稿者の方への親切心です。
http://www.gender.go.jp/danjo-kaigi/keikaku/gijiroku/ke14-g.html
日本語が読めるならばここをご一読ください。
ここで「ジェンダーが日本の語彙に追加された経緯について」政治家を前に答弁している方がおられます。
偶然にみつけたものですが、袖井孝子さんが私の認識と一致した見解を示しています。
何でしたら茶の水女子大名誉教授の袖井さんにも「あなたを含めジェンダーフリー批判派のジェンダー論理解はそれに輪をかけて乏しい」とメールでも送ったらいかがですか?
渡野川@管理人
2006/04/29 20:01
「ジェンダーフリー」の起源がヒューストンであるという記述はあれど、「ジェンダー」の起源がヒューストンだという主張はいくら探してもみつかりません。

日本でジェンダーという言葉が広く知られるようになったのはイリイチがきっかけだったというのはその通りです。袖井孝子さんの答弁を読むまでもなく、それくらいわたしでも知っています。

しかし、あなたはそればかりかジェンダーという言葉の大元はイリイチであり、その他は「イリイチに端を発する学術的研究」もしくはその「つまみ食い」であると言っている。しかし現実には、イリイチ以前の学術的研究もあれば、時間的にはイリイチ以降だけれどイリイチから影響を受けたわけではない研究だっていくらでもある。そういう意味で、イリイチ起源論はあなたが揶揄する「ヒューストン起源論」と同じくらい間違っています。

わたしは別にあなたに敵意があるわけでも、一部に間違いがあるからあなたの意見の全部が無効であると言っているわけでもなくて、事実関係に関わる致命的なミスがあるから親切心で指摘しただけなんですけれど、どうしてそういう風な敵対的な対応しかできないんでしょうか。
macska
2006/05/01 20:46
>macskaさん
あなたもしかしてmacska dot orgというサイトの管理人さんですか?
失礼ですけど、あそこに書いてあることでも「見識が低い」と言えるような錯誤が沢山ありますよ。そんなのいちいち指摘しにいってたら切りがありません。
いい加減にしましょうよ。コメント削除しないだけ、敬意を表していると思ってもらいたいものです。
いわゆるフェミニズムの主張のなかでイリイチ以前に「女性らしさを押し付けられてきた」という主張があることぐらい私も当然知っています。私自身それ以前からそういうことは考えていましたからね。しかしフェミニズムの連中はそれまで「女性論」というような称しかたをしていものをイリイチの研究が入ってきてからあえてジェンダー論と呼ぶようにしたのです。意味をすり替えつつ、です。それを「摘み食い」と言っているわけです。
渡野川@管理人
2006/05/01 21:54
はっきり言ってフェミニズム系の「らしさ」研究は読む価値すらないような図式論にすぎませんよ。だからそんなもの知らなくても少しも問題ないほどです。さらにそれに輪をかけて同性愛擁護趣味者たちの主張はお粗末です。自分たちの主張を正当化させるためにジェンダーという語に相乗りしてきた、という以外言いようがありませんねえ。繰り返しますが2ちゃんねるレベルのあまり意味のないご指摘は歓迎しかねます。ご了承ください。
「らしさ」研究はフェミニズム以前にユングが有益な研究をしています。「元型とは」という記事を書きましたのでそれでもご参照ください。あなたが食って掛かっている相手もユング派の人らしいですが。私もその方の河合隼雄批判はいかがなものかとは思っているのですけどね。あなたの食らいつき方にも問題ありそうです。
渡野川@管理人
2006/05/01 22:26
はじめまして。
ジェンダーの、そもそもの意味を説明してくださって嬉しく思います。
さらに言えば、イリイチの失敗は、ジェンダーを前近代に実体化したことにあると思います。
それと、文芸評論の分野で、ジェンダー(という概念)を使って優れた研究がなされています。
テキストがいいので、いい研究がなされているとか。
ジェンダーフリーよりもそちらに興味を抱きます。
みかん
2007/01/04 20:15
みかんさんこんにちは。
ご指摘のイリイチの失敗という話、私は失敗とは思えないのですがどのへんが失敗だったとお考えでしょう?
日本で現在「ジェンダー」という語を使ってなされている研究というか主張のようなものに価値があるものはほとんどないのが現実です。フェミニズムというイデオロギーのプロパガンダ用語と化してしまっていますので。本源的性差(ヴァナキュラーなジェンダー)は確かにあって、性差別に基づくものでもなければ強いられて女性がそれを身につけるものでもない。
ヴァナキュラーなジェンダーを否定し女性単独の女性的美意識を体得しようとし始めたところに、過度なダイエットによる摂食障害の多発という問題も生じてきています。
すぐれた文芸評論上の研究、実際に本とか論文を具体的にご紹介くださればありがたいです。一度読んでみたいと思います。
渡野川@管理人
2007/01/07 07:34
渡野川さん、こんばんは。

おおざっぱですが、「前近代には(ヴァナキュラーな)ジェンダーが存在した。近現代にはそれがない」とイリイチは論じました。
それを読者は、「イリイチは近現代を批判し、『前近代へ戻れ』と言っている暗黒主義者だ」と間違って受け取りました。
この読者の「誤認」を引き起こしたのが、ジェンダーのある時代や社会を実体化したイリイチの「失敗」であると思われます。

さらにイリイチの登場があまりにも派手であったため、その論旨を読者が正確に受け取る前に、消えていってしまったのではないでしょうか。

(ヴァナキュラーな)ジェンダーは近現代に破壊されましたが、その残滓は残っています。
それは少なくとも今世紀では、”ヴァナキュラー”なものではなく、”ハイパーヴァナキュラー”なものとして変容しているのではないでしょうか?

本の紹介です。
山崎正純『転形期の太宰治』(洋々社)
中村三春『フィクションの機構』(ひつじ書房)
よろしかったらご一読ください。
みかん
2007/01/07 19:54
それからジェンダーフリー論者たちは、なぜ”経済セックス”というタームを使わないのでしょうか?”経済セックスフリー”と言った方が理論的に正確であるように思われるのですが・・・。

みかん
2007/01/07 19:55
みかんさん
非常にレベルの高いコメントで感激しております。おっしゃるとおりの失敗の側面は確かにあると私も思います。
経済セックスというタームの話ですが私もそれに絞って分析したりしたことはないのではっきりとした答えは言いにくいですが、ジェンダーフリー論は結局は階級闘争論の変種で、つまりひと昔のマルクス主義と同じで、近代化は是としてその先のものを期待している論だからではないかと思います。経済システムのなかで冷遇されている(と自意識している)ことが不満なだけで、彼女たちが望むものを獲得することは、近代経済システムなしにはなしえない。それが経済システムそのものを真正面から批判できなかったり、問題視できない理由なのではないかと思うのですが、いかがでしょうか。
渡野川@管理人
2007/01/08 07:03
渡野川さん
「経済セックス」という用語を知らない人が、「経済セックスフリー」という造語を耳にすると、「買売春を自由にするのか」と誤解するおそれがあるので、この用語は使わなかったのではないでしょうか。まして「経済セックスフリー教育」などとしたら学校関係者はアレルギー反応を示すでしょうね。「セックス」という言葉はタブーですから・・・。だからといって、「経済セックス」よりも「ジェンダー」がもてはやされる状況には、失望を禁じえません。
みかん
2007/01/08 20:56
「経済セックスフリー」という語感に関する限りはおっしゃるとおりかもしれませんが、ジェンダーフリー派の論者たちはフリーをつける以前の「経済セックス」という語そのものを相手にしていないか、理解できていないように思います。そのあたりのことが先述した見解の理由です。「経済セックスフリー」という語も何やら意味が違う感じがする。私とすれば「脱経済セックス」ぐらいが理解しやすいかなと思います。とにかくイリイチの論文は翻訳しにくい語がたくさんあって、ジェンダーに限らず原語をカタカナに置き換えただけ、というものが多い。そのあたりが理解されにくかった理由かもしれません。
渡野川@管理人
2007/01/08 22:50
イリイチが日本に紹介されはじめたころ(1985年前後)学術界の若手研究者の間では同じような課題意識を持った者が多くいて、イリイチの論旨も比較的正確に理解されていたように思います。
そのころ上野千鶴子は『思想』かどこかにイリイチの翻訳本の書評を書いていた。上野千鶴子は、極めて簡単に唾棄して捨てられるようなつもりで書いた文章だったと記憶しています。ところが他の研究者が盛んに引用するのでそこから似た論点の外国の論文を探し始めた。そうして20年も経ってからようやくジェンダーに関する解説本出したという体たらくです。
上野千鶴子のようなフェミニズム思想家がイリイチのジェンダーを意図的に意味を摩り替えて葬り去ろうとした結果と、語感の新しさをプロパガンダに利用しようとしたメディアや広告屋的思考の連中のつまみ食いがこのような不毛なジェンダーフリー論を作り出したのだろうと思います。迷惑な話です、ほんとうに。
渡野川@管理人
2007/01/08 22:50
イリイチ自身、「新造語主義に荷担した」としてあるタームを取り下げています。でも新しい思想には新しい概念が必要不可欠です。作者も読者も難解さを恐れてはいけません。翻訳者の怠慢は許せませんが、みんながイリイチの言うことを分かってしまったとき、イリイチは過去の人となってしまったのでしょう。
みかん
2007/01/15 22:47
 確かにジェンダーを理解しないのに「ジェンダーフリー」を唱える人は、経済セックスについて無知でしょうね。対立概念を知ろうともしないのですから。
「脱〜」というタームからは、「脱学校化〜」「脱病院化〜」という誤訳が連想され、違和感を覚えます。いささか小難しく聞こえますが、「非経済セックス化」とでもしたらどうでしょうか?
 イリイチ思想が日本に”移植”されなかったのは、翻訳本にやたらとカタカナ語が多いこともあるのでしょう。それと共にイリイチの精緻な論理に、翻訳者や研究者も含めた読者がついていけなかった面もあるのではないでしょうか?
みかん
2007/01/16 22:21
ささやかでしたが、私もイリイチを学ぶ勉強会に参加していました。一応評価も受けました。イリイチその他がパネリストになったシンポジウムにも参加しています。
上野千鶴子はマルクス主義者ですね。前提としていることが違う気がします。フーコー流に言えば、”抑圧の仮設”を疑っていません。
みかん
2007/01/16 22:29
みかんさん
確かに「脱〜」はポストモダニズムっぽくて、別の文脈にもっていかれそうなので、適当ではないかもしれませんね。イリイチの問題提起は決してポストモダンやポスト構造主義的ではありませんので、誤解を招きそうです。そういえばイリイチと同じ頃ミッシェル・フーコーも流行っていましたね。私はあまりそちらには興味が向かず、むしろ全体史的というか世界システム論を専攻していたので、フーコーについては不案内です。私が興味を持つものはイリイチにしろユングにしろ難解なものが多く、同じものを読んでいながら理解がほかの人天と地ほども違うことが多いです。有益な研究なのに手垢つけられまくって使用不能に陥るのはたいていそういう研究です。
ジェンダーもそうですが「エコロジー」もすでに元の問題意識が消えてしまって使用不能な概念かもしれません。
ロハスとかの生活形態をして「エコロジー」を売り物にしている反戦平和主義者が、ファシズムにつながる陰謀論を吹聴したりして、エコロジカルな思考方法が全く働いていない、などの実例もあります。
ともかくもイリイチを深く研究なさった方のコメントいただけて光栄です。
渡野川@管理人
2007/01/17 01:39
トラックバックを読みました。ジェンダーフリー論者を鋭く批判していますが、ヴァナキュラーなものには触れていませんね。そこまで触れて欲しかったです。私の知っている政治社会学者も、カタツムリではなく、ミジンコの雌雄が入れ替わる例を出して、「人類の性もナチュラルに変わっていく」と言っていました。
みかん
2007/01/30 23:52
色んな人からのTBが送られてきますが、コメント同様管理人権限で表示するしないを峻別することにしています。面倒くさいスカンクコメントはとっとと削除してしまう。
お読みになったTBに関しては、内容にやや疑問なところがありましたが筆者のブログでのコメント応対に好感がもてたので表示することにしました。質問に、自分の言葉で、字数を要して回答する姿勢のある人は、今偏った意見を持っていたとしても、自力で間違いに気づいて修正できる能力を持ってます。だから多少の錯誤には目をつぶってもよいかを思えます。
面白いのは1985年あたりではむしろヒダリ気味の意見を持つ人たちの建学姿勢が誠実だったのが、昨今はそれがなくなりました。逆にミギ寄りの人のほうが知性は健全で、学ぶ姿勢もまっとうな場合がおおい。なぜでしょうね?
バブル期に一気に知性の腐敗が生じたのかもしれません。ヒダリの腐敗ぶりはすでに末期症状というほど酷い。
渡野川@管理人
2007/01/31 07:36
みかんさん

雌雄が入れ替わりの話ですが、このような話は注意して取り扱わないとけないでしょうね。
昨今の性の倒錯の風潮は「自然」なものとは言いがたいでしょう。種の末期症状とでも言いましょうか。
ジェンダーフリー派の人間がよく「二元論は悪だ」というようなことを書いていますが、私から見れば同性愛などは、あらゆるものを限りなく二つに分裂させていった果てに現れてくる多元性にすぎず、デカルト的ななんでもかでも二つに分割してしまう「近代自我」の行き着く先にあるものだと見ています。近代自我の保守本流ですね。大衆民主主義の終着駅はファシズム。近代自我の執着駅が同性愛。
渡野川@管理人
2007/01/31 07:53

自我の性意識が独善化して、自らの自然な肉体を否定するのが同性愛だったり、性同一性障害ですから、「心身分裂」そのものを生きているわけで、「心と体を分けて考えるのは悪い」など論じる前に、自分の心身分裂状態を是正する努力をする必要があります。その妨げになるのがジェンダーフリーイデオロギーです。彼らを性的マイノリティーなどと呼んで擁護するふりをして、心身分裂者の分裂状態を永続化させようとしたり、心(欲、または自我)のほうに体を統合させることに加担する。そっちには未来も希望もない、ということが分からないのでしょうかね、彼女たちには。
渡野川@管理人
2007/01/31 07:53
渡野川さん
雌雄入れ替わりの話ですが、人工授精やクローンのような人為的なものではなく、ナチュラルに人類の性が変わっていってしまうのではないか、ということです。

みかん
2007/02/03 00:45
建学姿勢、知性についてですが、80年代、20世紀最大の思想家の一人イバン・イリイチやフランスの社会学者ピエール・ブルデューが立て続けに来日しました。さらに米国の社会学者ナンシー・チョロドウは、「女が母親になることが社会の再生産の原因になっている」という根源的な問題提起を『マザーリングの再生産』で行ないました。(残念ながら、ミッシェル・フーコーは1984年に逝去。)いずれも日本の知を揺さぶりました。

それがどれくらい移植されたのかは分かりませんが、国内で目立つところで言えば、浅田彰に代表されるニューアカデミズムがありました。軽薄短小なものでしたが、それでも旧来の窮屈な学問に対抗しようとした、ムーヴメントだったでしょう。既存の学問体系を学ぶのではなく、新しい学問体系を構築しようというパッションが感じられました。「左翼的な」知性の動きでした。
でもそれは結局のところ、客観化する主体を客観化するにとどまり、客観化を客観化するには至りませんでした。そしてポストモダンへと下降していきます。
みかん
2007/02/03 00:49

私はと言えば、前述の四者に吉本隆明を加えて、仲間たちと勉強会を開きました。(断っておきますが、五者が勉強会に参加したわけではありません。あくまでも文献学習です。)と同時に東京の学生は勉強しないことに飽きたらず、身銭を切って信州まで行きもぐりで学んだ体験もあります。体も頭も動いていた時期でした。

みかん
2007/02/03 00:52
ところが90年代になって、例えばフランスでは、サルトルの再評価などという知的後退が始まりました。前述のブルデューも、自分の賛同者しか周りに置かなくなりました。イリイチについてはその失敗を前に書きました。ナンシー・チョロドウは、実証主義に堕していきました。日本の実情は御存知の通りです。

実例が少なくて申し訳ありませんが、このように「知性の腐敗」は日本だけでなく、少なくとも欧米でも見られる現象ではないでしょうか。
卑近な言い方をすれば、先進工業国の人間、特に若者はバカになっています。(80年代でさえ、アジアからの留学生が、「日本の大学は、教授も学生も勉強してない」と怒っていました。)

「ミギ寄りの人」の知性は世界水準に達し得ているでしょうか?
みかん
2007/02/03 00:54
レスポンスは長くなりましたので、エントリー立ててそこに書きました。
「ヒダリの知的腐敗」
http://44840889.at.webry.info/200702/article_7.html
こちらをご参照いただければ幸いです。
渡野川@管理人
2007/02/03 23:53

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