心理療法の現場にて

心理療法には色んな種類があって
眉唾なものもけっこう多い。

よくテレビのワイドショー企画が、
お悩み解決!とか銘打って
美輪明宏とか、細木数子なんかつかって
相談者に向かって偉そうに、
説教垂れる「お悩み相談」というのがありますが、
たいてい一般大衆は、
こんなものが心理療法だろうと思っているはずです。

カウンセラーという肩書き持って
メディアに登場する人間の多くは
この手の「お悩み相談」のようなものが職責だろうと勘違いして
楽ちんな仕事だからと
気楽に「○○カウンセラー」を名乗るものだと思います。

本来「心理療法」はこんなものではありません。
極めて高度な知識と、訓練と経験、
心理療法家個人の人としての力量が要求される
非常に難しい仕事です。
優れた心理療法家を見つけだすことのほうが
今の日本ではむしろ難しいのが現状でしょう。

「癒し」と心理療法も根本的に別物です。

この記事は「心理療法とは」というテーマではありませんので、
この話はこれぐらいにしておきます。

お話したいことは、遠い昔、
1986年頃ですから20年ほど前になりますが
学生時代に何かの本で読んだか、
あるいは講演で聴いたかして
強く印象に残った話。
心理療法の現場で起こったひとつの事例についてです。

私が当時興味を持っていたのは、
いわゆるユングの理論を底に敷いた心理療法で、
河合隼雄さんの仕事に興味を持っていたので、
おそらくその系統の心理療法の話ではなかったかと思うのですが
なにぶん、ブログで記事を書く、
などということを前提にしていませんでしたので、
はっきりしません。
記述するのに必要な要素を記憶していない。

出典も、事例として取り上げるクライアントの年齢も
子の性別や年齢なども記憶していないので、
そのようなものをとりあげることじたい
適切かどうか疑わしいと思い
書かないでいましたが
そのあたりの不備があることを自覚しつつも
今回は敢えて取り上げてみることにします。

ある心理療法家のもとへ
一人の女性が相談者としてやってきた。
彼女の悩みは二つだった。

ひとつは子の発達障害。
いまひとつは夫との不和。

クライアントは、自身の悩みの大半が
子の発達障害が原因だと考えて
最初は相談にやってきた。

おねしょがいつまでたっても止まない
わが子のことが不安である。
なぜ普通の子と違うのか、発達障害なのではないか、
色々本を読んで知識を増やせば増やすほど分からなくなるし
不安は増すばかり。
つい塞ぎこんで、
子供に明るく接することもできない。
その不安がいつまでも心から離れず、
何もかもがうまくいかない。
どうしたらいいのか分からない。

そのような話を彼女は訥々と打ち明け続けた。
話のなかに「夫が無理解であること」
「話をちゃんと聞いてくれないこと」など
「夫が」「夫が」という言葉がよくでてくる。

心理療法家がよく聞いてみると
夫婦の不和がこのところ顕著になってきているということも
彼女の悩みのひとつだということが分かった。
夫婦仲が冷え切っている、と感じている。
子供に悟られないように
子の前では抑えているが
子がいない時にはつい言葉が走って諍いになる。
夫との口喧嘩が絶えない。

そのような話がクライアントの女性の口から
語られていたそうです。
しばらくの間、彼女との面談が同じように続き、
毎回同じような話を根気強く聞いていたところ
ある日、彼女がやってきて、こんな報告をした。

数日前の夜、
子が寝てしまった後、
いつものように夫と些細なことで諍いになり
長々と口論をした。
感極まって涙が溢れそうになったまさにその時、
急に襖が開いてぐっすり眠っていると思っていた子が
姿を現した。

子は目に涙をいっぱい溜めて
こう訴えたそうである。

「パパ、ママごめんなさい。
ボクが(もしくはわたしが)いつもいけない子だから。
おねしょばっかりして、悪い子だから。
ボクもうおねしょしないから、いい子にするから
もうボクのことでそんなこと言わないで」

ショックであった。

子がそんなことを思っているなんて
少しも気付かなかった。
この子は毎夜毎夜の夫婦の諍う声を聞いていたのである。
幼い子が両親の不和の原因は自分であると思い
その咎を一身に背負って苦しんでいるなんて、
ちっとも気付かなかった。

そして彼女は心に決めた。
もう夫とはいがみ合わない。
夫もこれには応えたらしく
「君の話はよく聞いて理解するように努力する」
と言ってくれた。

子がおねしょをしたことに関しても、
不愉快な顔を一切せず、

「ママはあなたのお布団をキレイにするの大好きだから、
ちっとも嫌じゃないから、全然気にすることないよ。
いつかおねしょしないようになれればいいね」

と心から言うようになった。
すると子のおねしょがすぐに
なぜかぴたりと止まった。

彼女は思ったそうである。
すべて自分が間違っていた。
子がその間違いに気付かせてくれた。
子のおねしょのことで悩み、
辛くあったったりイライラしていたけれど、
この子のお蔭で夫婦の意思疎通は巧く取れるようになり
むしろ今は子に感謝する気持ちでいっぱいである。

というような話だった。


心理療法の現場では、
いつもではないがときたまこのような劇的なことが起こる。
子の夜尿症・発達障害と夫婦の不和の問題には
因果律で結べるものはないから
いくら原因を求めても見つからない。
問題解決の糸口すらつかめない。

しかし因果律で結べない別々の問題が
互いに連動して問題を解決不能にしているケースは多い。

会社での夫のストレスが
妻との仲を悪くし、
それが子の発達障害を引き起こしている
と理解することも可能な連関が成立していることもある。

だから、原因を追究しようとか
治してやろうとか、
そのような意志は一切放棄して
その問題をとりまく周囲のすべてに関心をもち
何事も軽視しないで問題を取り巻く周囲のものをすべて受け入れて
全体像をまず頭に入れるために
クライアントの話に耳を傾ける。
その姿勢が心理療法の基本である。

このようにクライアントとその心の問題をとりまく事柄すべてに
注意深く関心をもって接することをユング派では
「布置(コンステレーション)」を読む
と表現している。

そうしていれば心理療法家が何もしなくても
患者の自己治癒の力が働いて
自ら治ってゆく、ということがよく生じる。
これは決して偶然ですませられるものではない。

内戦で両親が殺され生き残った子は、
自分がわがままだから、
親の言うことを聞かない悪い子だったから
お父さんお母さんは死んでしまったのだ
と思いずっと自分自身を責め続けている

という話を聞いたことがある。

幼い子は、想像を絶する彼の外側で起こった出来事を
自分自身の小さな世界のなかだけで理解しようとする。
結果、このように背負えない重荷を背負って苦しむことになる。
大人がしたことの責任すべてを
幼子がたった一人自分だけで背負って生きようとする。
その時の痛々しい自責の思いが
大人になってもいつまでも残り、
彼(彼女)を苦しめる。

これを「トラウマ」などという言葉で束ねるのではなく、
ひとつひとつのケースを丹念に知ろうとすること。
それが心理療法という「治療」を行う者に
不可欠な姿勢なのです。

このような話を学生時代に読んだり聞いたりして、
深い感銘をうけ、
これほど難しくかつ重要な仕事はないと感じました。

このような仕事をする人たちに
共感し深い敬意抱くと同時に、
安易にカウンセラーを名乗ったり
人生相談の回答者として
テレビにでて薀蓄を垂れるタレントや、
「心の病」に関する本を出版して稼いだり
それをネタに政治運動にかかわる精神科医たちの姿に
憤りと不信感が募るようにもなったわけです。

(渡野川)

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